今日は先代のプー助の誕生日
生きていれば18歳。
1989年8月26日、プー助は4つ子のひとりとして
アメリカ・サウスダコタ州で生まれました。
お父さんはホワイト。お母さんはタン&ブラック。
お父さんはプー助が生まれてすぐ、犬舎の火事で亡くなりました。

そして1989年11月8日、アメリカ・シカゴ郊外に住んでいた私達。
近所のペットショップで出会いました。
当時は犬が恐かった8歳の私とクマmama。
(ご存知の方が多いとは思いますが、私たちは双子です)
元気いっぱいのプーちゃんを見て
両親が購入すると言っても私は正直乗り気はしませんでした
でもうちに一緒に帰って、一緒に成長するにつれて
ペットや弟という存在の枠を超えて
私にとって本当に大切な大切な存在になりました

高校を卒業し、日本の大学へ進学することになった私とクマmama。
父をアメリカに残し、母とプーちゃんと帰国しました。
このとき私達は18歳。プーちゃんは10歳でした。
しかし、プーちゃんにとって
湿気の多い日本の気候は合わず、皮膚炎を起こしてしまいました。
離れるのは嫌でしたが
母がアメリカへ連れて戻ることに
クマmamaと一緒に成田空港まで見送りに行きました
それからは、休みのたびにプーちゃんに会うため
アメリカに行く生活が
社会人になっても、会いに行っていました。
半年に1回しか会わないうちに
どんどん白髪が増え、衰えていくのがわかりました。
そしてついに…プーちゃんが15歳の春。
腎臓が弱っていることを獣医さんに言われました。


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生きていれば18歳。1989年8月26日、プー助は4つ子のひとりとして
アメリカ・サウスダコタ州で生まれました。
お父さんはホワイト。お母さんはタン&ブラック。
お父さんはプー助が生まれてすぐ、犬舎の火事で亡くなりました。

そして1989年11月8日、アメリカ・シカゴ郊外に住んでいた私達。
近所のペットショップで出会いました。
当時は犬が恐かった8歳の私とクマmama。
(ご存知の方が多いとは思いますが、私たちは双子です)
元気いっぱいのプーちゃんを見て
両親が購入すると言っても私は正直乗り気はしませんでした

でもうちに一緒に帰って、一緒に成長するにつれて
ペットや弟という存在の枠を超えて
私にとって本当に大切な大切な存在になりました


高校を卒業し、日本の大学へ進学することになった私とクマmama。
父をアメリカに残し、母とプーちゃんと帰国しました。
このとき私達は18歳。プーちゃんは10歳でした。
しかし、プーちゃんにとって
湿気の多い日本の気候は合わず、皮膚炎を起こしてしまいました。
離れるのは嫌でしたが
母がアメリカへ連れて戻ることに

クマmamaと一緒に成田空港まで見送りに行きました

それからは、休みのたびにプーちゃんに会うため
アメリカに行く生活が

社会人になっても、会いに行っていました。
半年に1回しか会わないうちに
どんどん白髪が増え、衰えていくのがわかりました。
そしてついに…プーちゃんが15歳の春。
腎臓が弱っていることを獣医さんに言われました。




